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こんにゃくの歴史

1

こんにゃく芋が渡来する縄文時代

縄文時代

こんにゃく芋はミャンマー、マレーシア、タイなどの東南アジアが原産国と言われています。日本への渡来説はまちまちですが、数千年前の縄文時代に根栽農耕文化の北方伝播とともに伝えられたと考えられています。

縄文時代イメージ

2

食用として伝達される

奈良時代710 年〜

食用としては、中国で唐代(BC700年頃)こんにゃく芋を灰汁で煮て食べた記録があり、さらに四川省、湖北省等で栽培されていた記録がありますので、食用こんにゃくは恐らく豆腐と同様に仏教によって肉食を禁じられた代わりに副食物として揚子江流域に発展し、その後日本へ仏教の伝来とともに輸入されたと思われます。

奈良時代イメージ

3

一般的に常食化

鎌倉時代1192年〜

こんにゃくは、初めは医薬品ないしは間食用として貴族や僧侶の間で珍重されていましたが、それが一般に知られ常食化されはじめたのは、仏教が民衆の信仰として深く生活に根を下ろした鎌倉時代以降と思われます。 この時代にはこんにゃく商人の組織である「こんにゃく座」が設けられていました。

奈良時代イメージ

4

精進料理・おでんで人気に

室町時代1336年〜

さらに室町時代になると、都の路上でこんにゃくを売る姿が見られるほどになり、精進料理にも使われ始めました。
当時は1日2食だったために間食があり、僧院では「糟鶏」といって薄いみそ煮にしたこんにゃくおでんのようなものを食べていたようです。

奈良時代イメージ

5

赤こんにゃく製造

安土・桃山時代1568年〜

織田信長が赤こんにゃくを作らせました。(赤こんにゃくとは、白いこんにゃくを鮮やかな赤に染めたもので、派手好きとされる信長が赤く染めるように命じたといいます。味は普通のこんにゃくと同じです。)

6

更なる大衆化と精粉の誕生

江戸時代1603年〜

江戸時代には、さらに大衆化が進み、特に水戸藩では久慈郡を中心にこんにゃく栽培を奨励し、藩の専売とし江戸深川に蒟蒻会所を設けて販売しました。
同藩の中島藤右衛門はこんにゃく芋を乾燥して粉にすることを考案し、そのため水戸のこんにゃくは各地に売り出され名声を高めるとともに、生芋の製粉化は、原料の貯蔵、遠方輸送が可能になり、今日のこんにゃく産業の基礎が固まりました。

江戸時代イメージ

7

水戸藩の専売品から全国へ

明治時代から現在

明治時代のはじめ頃、こんにゃく粉は水戸藩の専売品から解禁されました。流通が活発化し、生産・製造が本格的に分業されるようになりました。

大正時代には海藻の粉を混ぜてこんにゃくをつくる方法が考案され現在食べられているこんにゃくの形状が定着しました。戦時中、生産量は一時的の減りましたが、戦後は復旧しました。

農業技術の進歩にともない平地栽培ができるようになってからは、群馬県を中心に急速に生産が増し、現在に至っています。

1300年以上前から食べられているこんにゃく