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VOL 21 江戸庶民に愛された“こんにゃく”

江戸のレシピ本「豆腐百珍」と同様に「蒟蒻百珍」も食卓を大いににぎわせた“こんにゃく料理”のベストセラーでした。

こんにゃくを桶に入れて天びんでかついで売る“棒振り”と呼ばれる売り方で江戸の人々の川柳や俳句にもよく登場しています。

・ぬかるみを毎日歩く蒟蒻屋
・蒟蒻屋桶でじだんだ踏んでいる
・大笑い蒟蒻売りを路地でよけ

何かに間違えられての川柳ですね。富士山の大噴火では、「宝永四年蒟蒻の値が上がり」とも読まれ、松尾芭蕉の句には、

・蒟蒻にけふ売かつ若菜哉
・蒟蒻のさしみもすこし梅の花

とあり、室町時代の俳諧撰修の句には、

・足軽にこんにゃく売りな行きつれそ、槍の先にて刺し身せらるる
とあり、凍み蒟蒻を詠んだ孤域の句に、

・氷らする蒟蒻に撒く寒の水

こんにゃくは庶民に愛された食材ですね。

VOL 20 砥石が育てた“下仁田こんにゃく”

群馬県の南西部、信州と県境に位置する南牧村は、こんにゃく王国の出発点となった村です。

南牧は古くから砥石の産地で、江戸時代、良質な砥石が幕府の御用砥として保護され、砥石商の篠原粂吉が袋田のこんにゃく商売にかかわっていた斎藤周蔵をまねき、南牧のこんにゃく栽培が始まったといわれています。

南牧の砥石採掘の起源は古く鎌倉時代で、切り出された砥石は馬で下仁田に運ばれ、そこから富岡を経由して江戸や各地に輸送され、1日に50頭もの馬が出発し砥山と下仁田は馬が頻繁に往来していたのです。この砥山に近い砥沢集落に砥石を集めて出発する地として“元荷駄”と呼ばれ、そこから東10数kmほどいった中継地が“下荷駄”で今の下仁田の地名の語源になったといわれています。日本の近代産業に貢献した世界文化遺産・富岡製糸場も元は砥石の輸送中継地として誕生したのです。

砥石やこんにゃくの流通拠点が近代産業を生んだのですね。

VOL 19 こんにゃくのブルブル

こんにゃくが江戸の暮らしに欠かせない食材でレシピ本「蒟蒻百珍」に多様な料理法が書かれていますが、江戸人にとっては不思議な食材だったようです。

寛延三(1750)年に書かれた俳諧連句の付句を集めた本「武玉川」に、「盛り上げられて動く蒟蒻」が載っています。“大きな歓声にあおられ、盛り上げられて動揺する”そんな様子を“こんにゃくを皿にたくさん盛り上げるとブルブル動く”になぞらえて詠まれた句です。

また、この頃に描かれた日本の幽霊は両年を前にそろえてブルブル震わせながら出てきますが、この震え方の大きいのを「蒟蒻の幽霊」といったそうで、こんにゃくにはちょっと失礼な表現ですね。

グラグラして安定しない様子を「蒟蒻を馬につけたよう」ともいったそうですから、こんにゃくがブルブル動くのがとても不思議でおかしく見えたのかも知れませんね。

VOL 18 「運だま」と呼ばれた「こんにゃく」

江戸時代「こんにゃく」は、なくてはならない日常食品でレシピ本「蒟蒻百珍」があるほどの人気食品でした。

とはいえ「こんにゃく」はとても栽培が難しく、病害や台風、気候の変化などの景響や種イモの越冬も難しく、管理するのが大変な作物でした。

需要があるのに作柄不安定なことから投機的作物とされていました。そのため農家と仲買人との売買で「青田売り」がされ、秋口に仲買人が畑の様子をみてその年の作柄を予想し、畑ごと売り買いをし取引が成立すると手付金を払い、収穫の11月を待っていました。

実際は収穫までに台風で全滅するリスクもあり、“掘ってみなければわからない”吉か凶かの勝負だったのです。
そんなことから、こんにゃくは「運だま」と呼ばれていたそうです。そんなこんにゃくがいつでも食べられる現代は“運が良い”のですね。

VOL 17 こんにゃくの都市伝説

こんにゃくは低カロリーの上、豊富なカルシウムや炭水化物、食物繊維が腸を調整することでダイエットやメタボ改善に大活躍ですが、昔から「こんにゃくの砂おろし」という都市伝説があります。

宝永4年(1707)の富士山大噴火のあと、こんにゃく相場が急騰したそうです。大噴火は関東一円におびただしい降灰をもたらしたため、体内の「砂おろし」に効果があると信じられ、こんにゃくの需要が殺到したのだそうですからこれは立派な都市伝説です。

当時の川柳に“宝永四年 蒟蒻の 値が上り”と詠まれていますので、作り話ではないようです。昔から不消化で体内を素通りするため胃腸の掃除をすると信じられていたのです。

東京帝国大学の前田実博士は、自らの実験で体内における腸内細菌の分解による消化率が95,7%という高いことを証明しています。

こんにゃくは消化されないという俗説とともに砂おろしという都市伝説も覆したいですね。 

VOL 16 桜田門外の変と「こんにゃく」

安政7年(1860)3月、春の雪降る桜田門外で水戸浪士による井伊大老襲撃事件が起きました。この水戸藩は、こんにゃく栽培を奨励し袋田に「蒟蒻御国会所」を設置して藩により取引を運営し、こんにゃくが日常食となっていた江戸に年間90tものこんにゃく粉を出荷し莫大な収益を得ていたそうです。

さて、その桜田門外の変を現場指導した人物が水戸浪士の関鉄之介ですが、17人の同志の逃走資金を援助した人物が袋田の蒟蒻会所を取り仕切っていた桜岡源次衛門です。水戸藩の改革派とこんにゃく豪農の桜岡家がどのように結びついたかはナゾですが、桜岡が二百両ものお金を用立てたそうです。

事件後、関鉄之介は九州薩摩に逃げようとしたのですが警備が厳しく結局、袋田の蒟蒻会所に身をひそめていたことがわかっています。
強い国家意識を説いた尊王攘夷の広がりに、こんにゃくの資金が役割の一端を担っていたことに驚きます。

VOL 15 こんにゃくでロカボ!

糖質制限でダイエットや生活習慣病予防をする新商品が続々、開発されています。

“ロカボ”とは「ローカーボハイドレート」の略で、穏やかな糖質制限の意味で、コメや小麦、砂糖に多く含まれ摂取量が多すぎると血糖値の上昇や肥満につながり、糖尿病など 生活習慣病のリスクが高まるとして、糖質を極端に減らすのではなく穏やかな制限が健康志向の若い女性や中高年層に人気となっています。

ご飯に粒状のこんにゃくを混ぜ、糖質の量を減らした弁当やおにぎりが人気です。糖質の量は弁当で通常の半分以下の29.5g、おにぎりが2割減の30.9gと“ロカボ”な食養生が人気の理由です。パリジェンヌが喜ぶこんにゃくパスタも単に肥満予防だけではなく、血糖値の上昇を抑えるなど生活習慣病の予防にも効果がある“ロカボ効果”にこんにゃくが一役かっているからです。

VOL 14 寒天と心太(ところてん)

わが社の人気製品に「寒天」がありますので、寒天と心太(ところてん)のお話しです。

こんにゃくは地の食材ですが、寒天は海の食材で海藻からつくられます。寒天と心太の違いは、寒天を煮溶かした液を固めてそれを突き器で成形したのが「ところてん」です。

さてこの「心太」をなぜ“ところてん”と読むかというとその語源は平安時代、寒天の材料のテングサを「凝海藻」と書き、カナ文字がない時代ですから「古留毛波」と書いてコルモハと読ませ「心太」をココロフト(古々呂布止)と呼び、ココロフトからココロタイがココロテンとなり、訛ってトコロテンになったといわれています。

また、ココロ=凝、フト=太でココロフトを「大凝草」の意味だともいわれています。心太は中国伝来の食品で隠元禅師が寒天の命名者ともいわれていますが、今では日本古来の海藻食品だといわれ、17世紀中頃、伏見の美濃屋太郎左衛門が寒天を発明し商品化したと考えられています。

VOL 13 上州名物、蒟蒻平八とカラッ風

こんにゃく栽培の歴史をたどると、明治の中頃にこんにゃく栽培の普及に努めた“蒟蒻平八”に出会います。本名は茂木平八ですが、こんにゃく栽培を熱心に説き村人から蒟蒻平八と呼ばれたのだそうです。

平八は栽培するだけでなく、生産の効率を実践して見せ地域の風土を上手に活用し、種イモを貯蔵する技術で年々倍の作付け面積を増やし、こんにゃく作りの有利さを実践、奨励しています。農民もこんにゃく栽培の利益を認め作付けに勢を出し、南牧村地方を一大産地にしました。平八の栽培法は冬の間は種イモを凍らせないように貯蔵し、春に植えつけて効率化を図りもう一人のこんにゃく名人、斎藤周蔵の精粉づくりに学び、栽培と製粉を同時に実施し普及したのです。

栽培に適した水はけのいい傾斜地と水車を利用した製粉の水流、良質の精粉を作るのに必要な荒粉の乾燥を上州名物のカラッ風を利用して、こんにゃくの一大産地として発展させ「蒟蒻平八」と呼ばれる所以ですね。

VOL 12 珍名こんにゃく料理

江戸の料理本「蒟蒻百珍」には面白い名前のこんにゃく料理があり、ご紹介しましょう。 「狸汁」なる料理は“こんにゃくを湯煮し、乱にちぎり、香(ごま)油にて揚げ、もっとも色のつくほどよし。味噌しる。大根おろし又はきらずなどせり二分きり、はらりと入べし。吸い物によし”とあり、こんにゃくを油揚げにして狸の肉にみたてた一品でしょうか。

「小鳥もとき」は狸汁と同じ調理で“揚げたこんにゃくを小茶わん(精進茶わんむし用)に入れ、その他魚類をあしらい、はもとじ、たまごとじともによし”とありますから茶わん蒸し風なのでしょうか。どこが“小鳥”?

「くらべ馬」という一品は“包丁むねにてこんにゃくを叩き、別にたまごをわり、かきまぜ、こんにゃくを叩き込み、にへ湯にとふす。”とあり、葛だまり、わさび、ふたものによしともあり、はて名前の由来はと首をかしげますが、こんなこんにゃく料理に挑戦し江戸へタイムスリップしてはどうでしょうか。

VOL 11 こんにゃくの“魚もどき”

江戸の「蒟蒻百珍」の著者、嗜蒻凍人は本の前書で「こんにゃくの姿は賤しくみえるが食べると貴くも賤しくもなく良い。鬼芋といわれたり異名もあるが、これを調味すると自然の美味がある。よってその調味のあらましを書き綴り、数奇人の高覧に備ふる」と書きこんにゃくに愛情を示しています。

百珍から「魚」にたとえた料理を紹介しましょう。

「白魚」という料理は、こんにゃくを白魚にみたて細づくりにして一筋づつ葛粉にまぶし、熱湯を透して食す。吸い物や生酢でもいい。のりや岩茸などをあしらっても良し。と食欲をそそります。

「鮒(ふな)なます」では、薄く平目につくり、大小色々あってもよい。湯煮し、別に黍(きび)をさっと湯に透しこんにゃくにまぶし、酒でいり白髪うどんなどをあしらうときれいだ。「鰌(どじょう)もどき」では、細長く大小色々あってもよい。香油(ごまあぶら)にてあげ、味噌汁、ごぼうささかきで食べる。とあり、なかなか粋な料理を伝授しています。

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