「氷室(ひむろ)」、「花がせ」、「高砂」、「井出の里」と聞いて“和菓子?”と思われる方が多いと思いますが、なんと江戸時代のレシピ本「蒟蒻百珍」にある、なんとも美味しそうな“こんにゃく料理”なのです。
「氷室」は氷に見立てた菓子ですが、こんにゃくを氷に見立て“夏によく冷やして砂糖をかけるもよし”とあり、お菓子ですね。「花がせ」は“こんにゃくを糸づくりにしてよくもみ、うすくざっと味を付けてその上に少しかための葛あんをかけていただく”とありますから、こんにゃくを葛切りと見立てての料理でしょうか。
「高砂」は“こんにゃくをゆで上げ、よくしぼってご飯の上に盛り、別に肉汁(だしじる)をこしらえて、かやく、おろし大根、生姜をのせていただく” これは、すき焼きの具をのせた“肉飯”ですが「高砂」ですか。
江戸の人々は、ネーミングにも凝って料理を楽しんでいたのですね。
冬至は一年のうち太陽が低く昼が短く、夜が最も長くなり、太陽に力が弱くなると信じられていました。そのため、冬至には柚子湯に入ったり、かぼちゃを食べたりして風邪をひかないようにするなど健康に注意する風習が続いています。また、食べ物では「ん」のつく食べ物を食べると幸運にもつながるとされ、なんきん(かぼちゃ)、れんこん、にんじん、ぎんなん、きんかん、うどん、そして「こんにゃく」「かんてん」などを食べると良いとされています。
おでんや鍋物に欠かせない「こんにゃく」は、この季節の食材ですが、こんにゃくは食物繊維が豊富で整腸作用があり “からだの砂をはらう”といわれ、一年が終わる前に体をきれいにするという意味もあったといわれています。中国の「易経」には、冬至を境に“ものごとが良い方向に向う”とあり「一陽来復」と書かれています。冬至は、家族の健康をみんなで見直す日なのですね。
実りの秋は“食欲の秋”で、つい美味しいもので満腹になります。一説では、人間も大昔に冬眠をするDNAが働いていて今でもその名残で、冬眠する動物たちのように秋にたくさんの栄養を摂る習慣が残っているのだといわれています。
そんな秋、自然のデトックス食品“こんにゃく”料理がおすすめです。こんにゃく、ごぼう、人参にとり肉で煮た「うま煮」 便秘に効果大の一品です。
また、こんにゃくを油で炒めた「コロコロ炒め」も腸を整えてくれます。こんにゃく成分の97.3%が水分で、残りは食物繊維。グルコマンナンという人間の消化酵素では分解できない食物繊維が含まれていて、腸の働きを高め、動運動(押し出す働き)を活発にし、体内の老廃物や毒素を吸着して体の外へ排出するデトックス効果が高いのです。
その上、気になる肥満防止の効果もあり、こんにゃくに感謝の秋ですね。
日本人の暮らしに息づく“こんにゃく”ですが、現代人が思いつかないような、こんにゃく活用法をご紹介しましょう。
明治21年(1888)刊の「実験化学工業第一巻」には、こんにゃくを原料として人造ゴムを作る製法が書かれており“こんにゃくの模造ゴムは柔軟にして永く弾力を保有すること、本質のゴムと殆ど異なる所なく、又皮革に代用するも同一の効果あるものなり”とあり、明治から大正にかけて、自転車のタイヤやゴム靴などがつくられたそうですから驚きです。
明治23年(1890)に刊行された「蒟蒻栽培調理法」には、食用以外の用途についての記述があり、雨傘や雨合羽、空気枕や氷袋、壁紙などにも使われていたとあります。その他にネズミに咬まれたとき生根が膏薬としても使えるとありますが、本当でしょうか。
大正時代になると工業用途が広がり、天幕やセルロイド代用品、雨除けシートにも使われたとありますが食欲を削がれますね。
こんにゃく同様、寒天、心太が生活習慣病予防の食材として注目を集めています。
こんにゃくが陸の作物に対し、寒天、心太は海藻からつくられる海の作物です。さて、寒天も心太も同じ海藻から作られていますが、寒天をみて心太と呼ぶ人はいません。その逆も同じで、“鶏が先か、卵が先か”のような関係といえばよいのでしょうか。
その効用についての研究が進み、コレステロール低下効果、肥満防止効果、ガン抑制効果などがわかってきました。日本の寒天ゼリー食品は多様な広がりで人気絶頂です。アメリカのゼリーは、ジャムと理解されることが多く、イギリスのゼリーは、テーブル・ゼリーと称されデザート・ゼリーが人気だそうです。フランスではジュレと呼ばれ語源的には“こごる、固まる”の意で、原料も動物性と植物性があります。
こんにゃくと寒天、心太、陸の畑と海の畑の違いはありますが、その効用はなんだか“兄弟”のような気がします。
こんにゃくは、成分の97.3%が水分で残りは食物繊維と言われていますが、人間の消化酵素では分解できないグルコマンナンという食物繊維が含まれていて、腸の働きを活発にし体内の老廃物や毒素を出すデトックス作用もあり、こんにゃくは肥満解消のダイエット食品としても花形食材です。
江戸時代は、「こんにゃくの砂払い」と称してこんにゃくを定期的に食べ、体の中に溜めてはいけないものを体外に出していました。
現代では、こんにゃくは「ローカーボヘイドレート」の代表食材です。通称「ロカボ」は“緩やかな糖質制限”の意味で、糖質を極端に減らすのではなく緩やかな制限で健康維持をする食材として、こんにゃくが“モテキ”なのです。
普段は、おでんやすき焼き、精進料理に欠かせない一品でも控えめでした。今やパリ娘のハートを掴むパスタに使われる、健康食材の主役として“こんにゃく”が注目されています。
こんにゃくの原産地はインド、セイロン島といい切る説。いや、インドネシア島だ、という説。もっと広く、熱帯アジアが原産と諸説ありますが里芋の仲間で切花のカラーや水芭蕉とも同じ仲間で“球茎の芋”つながりで納得です。
インドでは昔から栽培されていたようで、日本には500年代頃に朝鮮経由で中国から伝来したといわれています。いや、稲作以前の縄文時代に伝来したともいわれ諸説紛々です。
こんにゃくの栽培や製造の記述は、1695年刊行の「本朝食鑑」にあり、肉食を禁じられていた僧たちに食され精進料理に欠かせない食材となっています。
「蒟蒻本」ってご存知ですか。江戸時代に出版された“洒落(しゃれ)本”の通称で、色と形がこんにゃくに似ていたことから、そう呼ばれたそうです。
江戸はこんな洒落と笑いで、ダイエットしたのでしょうか。
日本のこんにゃく栽培の起源はどこの地域からか、はっきりしていないのだそうです。
こんにゃくイモの全国生産の9割ちかくを占める群馬県も昭和になってからです。その群馬とくらべると茨城県のほうが産地としては古く、江戸中期、八代将軍徳川吉宗のとき幕府は全国の農産物や動植物を中心にした産物調査(1735~1739)をし、各藩に報告書を全国20地域から出させていますが、この頃には江戸後期にこんにゃく産地として名を馳せた水戸藩は、こんにゃく栽培をしていた形跡がないのだそうです。
水戸藩でこんにゃくの記録が出てくるのは1770年(明和7年)で、江戸に「蒟蒻玉会所」を設置し販売所を設けています。
水戸黄門様の隠居後の記録「日乗上人日記」には、日々の食膳メニューが記載されているのですが1698年9月13日の献立に「こんにゃく」が記述されているくらいだそうで、黄門様はこんにゃくが嫌いだったのでしょうか。
安政時代(1855)頃、水戸藩でこんにゃくの発展に貢献した二人の人物が語られています。
一人は今の大子町の住人で、益子金蔵が臼の中の不要なこんにゃく粉を搗きながら外にまきあげる「あおり技」を考案したことです。
こんにゃく水車で臼を搗く杵の先に偶然、こもが突き刺さり、こもがバタバタ扇いだことで粉の不純物をまきあげる装置を作ります。
臼には比重が大きい純度の高いこんにゃくの主成分マンナンが残り、この工夫で当時、精粉五両だった値が七両に上がり、この功績で金蔵は藩から「黒付小柄小刀」が与えられたそうです。
もう一人は大阪の久右衛門という商人で、水戸藩の信頼を得て粉こんにゃくの西日本一帯の販売を一手に任され、年間の取引額は千両単位だったそうで、克明な買い付け記録が残されており、久右衛門のおかげで水戸藩の粉こんにゃくが全国に広がり、この二人がこんにゃく発展に貢献したと言われています。
こんにゃくが機械生産されるまでは当然、手づくりで荒粉が作られていました。
掘り取ったこんにゃく芋は、6ミリほどの厚さにスライスされ1メートルほどの長さの篠竹に数センチ間隔で串刺しにされ、ずらっと輪切りのイモが風通しのいい軒先にぶら下げられていました。今でも見られる干柿のような風景で、こんにゃくの串刺しの篠竹を連ねていくと丁度すだれのようになり、これを“連”といい天日干しする場所を“連場”と呼んでこんにゃくを冬の乾燥した空気にさらし、それを荒粉にしたのです。
こんにゃくの産地、下仁田や南牧では冬の風物詩で農家の軒先や庭先につるされ、こんにゃくすだれだらけでした。この頃、こんにゃくは食用だけではなく工業用にも使われ、需要が多く価格が高騰したため農家では寝る間を惜しんで荒粉づくりに精を出し“こんにゃくすだれ”は“札束のなるすだれ”に見えたのだそうです。すごいですね。
茨城県の袋田の滝で知られる大子町にある蒟蒻神社に祀られている中島藤右衛門が発明した「蒟蒻粉」によって、手のひらいっぱいの粉から鍋一杯分の蒟蒻ができることから「こんにゃくはお化け」といわれる“魔法の粉”となったのです。
子どものころに遊んだ“きもだめし”で、暗闇でこんにゃくに触って驚いた記憶がありますが、こんにゃくの七変化も楽しいですね。
江戸の「蒟蒻百珍」には珍しいこんにゃく料理が紹介されていますが「隠里(かくれざと)」という料理はどうでしょう。
「弐ッ切にて、小口より内をきりぬき、かやくをつめ、また小口へうどんこをぬり、さっと揚げ用ゆ。姿のかわらぬを専用とす」とあります。こんにゃくを二つに切り、中身をくりぬいてお好みの具を詰め、さっと揚げていただくおでんの“巾着”のような一品ですが、こんにゃくの型を変えずになかからいろいろな具が出てきたら楽しいでしょうね。
江戸でもてはやされた“こんにゃく料理”も、あまり「美味しい」と褒められることも「まずい」と叱られることもありませんが、“なくてはならない”食べ物です。
「おでん屋」「すき焼き屋」には欠かせませんが、さりとて“こんにゃく”がなくては商売が成り立たないわけでもありません。一見たよりない“こんにゃく”も知らない子どもがいるわけでもなく、家庭料理にひょっこり顔を出す料理です。
こんにゃくの歴史をたどるとこんにゃく生産の浮き沈みは激しかったのですが、ダイエットやメタボ対策で新しいこんにゃく料理が誕生し、その価値が栄養学的にも評価され世界的な広がりをみせています。
あの“ぷるぷる”“ブルブル”が、おしゃれになってお菓子やパスタになり、現代の“健康食”として昔と変わらぬ愛すべき存在感が何とも言えない魅力です。
“こんにゃく”の更なる進化に期待です!