「凍みこんにゃく」をご存知でしょうか。
手間のかかる伝統的な製法で作られる一品ですが受け継ぐ人手不足で一時は途絶える寸前でしたが、茨城県常陸太田市で今も作られています。独特の食感や低カロリー食品としてパリ、ミラノのスーパーにもある人気の食材となっています。安土桃山時代の記録に「こほりこんにゃく」という文字も確認されており、江戸時代には精進料理に使われています。こんにゃくを薄切りにして石灰水にくぐらせて、これからの厳冬期にワラをしきつめた田んぼに一枚一枚並べて乾燥させ日中には水をまんべんなくかけて夜間に凍らせる作業を20回ほど繰り返して乾燥させる手間のかかる伝統食品です。
天ぷらや揚げ物料理、根菜との煮物や炒め物にしたりと幅広く手軽に使われてます。ちょっと見ただけではこんにゃくと思えないワラの跡のついた素朴な凍みこんにゃくは、なぜか懐かしさを感じます。
秋の深まりを感じながら“紅葉狩り”を楽しみたい季節です。江戸時代も庶民の娯楽として八代将軍、吉宗が飛鳥山に数千本のもみじと桜を植えて楽しんでいたようです。
晩秋の夜長、江戸の「蒟蒻百珍」から酒肴を作ってみてはいかがでしょうか。
「敷雲丹」(しきうに)は、贅沢に雲丹を酒でゆるめ少し味噌を溶かし、湯でたコンニャクを好みの大きさに切って和えていただきます。
「白葛」は、焼き塩に焼酎を入れたタレに湯でたこんにゃくを和えるシンプルな一品ですが、酒の肴にどうでしょうか。
「葱和」(くさあえ)は、ねぎ、白ごま、味噌をすり合わせ、酒で溶いて葱三分、味噌七分でこんにゃくと和えて、七味唐辛子を振りかけていただく酒のすすみそうな一品ですね。
「胡桃味噌和」は、胡桃と白ごまを好みですりあわせ味噌を程よく入れて和える、季節の一品です。晩秋の酒の肴に江戸の“こんにゃく料理”で“美味酒”はいかがでしょうか。
植物栄養素が機能性医学の分野で「栄養学第四の波」といわれ、植物由来の何千という有用物質の生理機能が解明されて「こんにゃく」の効用が明らかになってきました。
例えばこんにゃくのカルシウムは酸に溶けやすく胃の中で容易に溶けて小腸から吸収される優れたアルカリ性食品のため、カルシウムが多く摂取できます。また、高血圧や高脂血症、動脈硬化に直接つながるコレステロール値を下げたり、抑制をする働きもあります。こんにゃくには減塩するのと同じ効果もあり、血圧降下物質のあることも解っています。他に、こんにゃくの食物繊維にガン防止の働きが期待されています。有害物質の発生を防いで体外にスピーディーに出したり、善玉菌を増やす助けをして腸がんの発生を抑えたりする働きもあると考えられています。
おでんやすき焼きの具とあなどることのできない機能性食品の“すぐれもの”なのです。
こんにゃくの渡来は古く縄文時代だと伝えられていますが、記録では奈良時代に薬用として中国から伝来し漢語の「蒟蒻」も一緒に伝わったとされています。
「本草和名」には「古爾也久・こにやく」、「和名抄」では「古迩夜久・こにやく」と書かれていますが、「蒟蒻」に至るまでには混乱の時代があったようです。
当初は「蒻・じゃく」と呼ばれるガマ科の植物があり、蒻は蒲の芽の意もある多年草で湿地に多く分布し根茎は肥えていて、生態や用法などの特徴も似ていたため、蒟蒻も蒻や菖蒲と同じ仲間と判断されていたようで、なかなか“こんにゃく”に至らなかったようです。
江戸時代の栄養学者、貝原益軒は「養生訓」に、“精根尽きた時には、大根、れんこん、こんぶ、こんにゃく、ごぼうなどを食べればよい”と書いてます。こんにゃく名の変遷も、今では健康社会の新しいスーパーフードとして定着していますね。
NHK総合テレビの「ガッテン!」で放映された、こんにゃくを美味しく食べる料理の裏ワザをご紹介しましょう。
まずは、板こんにゃくを使った裏技ではこんにゃくを5㎜程の厚さに切り、金属のバットの上に重ならないように並べラップをかけて冷凍庫で2時間ほど冷凍し、流水で解凍して使う裏技です。
「クラゲ風酢の物」では、白こんにゃくをクラゲに見立てゴマ油やポン酢、キュウリや白ごまで和えて作ります。
もう一つは、しらたきを砂糖と一緒に袋に入れ2~3分ほどよくもみ、さらに流水でよく洗って使う裏技です。
「めかぶしらたき」や「そうめん風しらたき」はすっきりした酢の物風にしたり、「棒棒鶏(バンバンジー)しらたき」や「青椒肉絲(チンジャオロース)しらたき」では、しゃきっとした歯ごたえは絶妙の中華に変身します。裏技で絶品の食材になるこんにゃくに脱帽です。
昔の諺に「精根尽きたら“こん”のつく食べ物を食べなさい」とあります。 だいコン、れんコン、コンぶ、ゴンボ(ごぼう)、そして“コンニャク”です。
「こんにゃく」には昔から“胃のほうき”や“腸の砂下ろし”などの言い伝えがあり、江戸の栄養学者、貝原益軒も「養生訓」で、こんにゃくの体内掃除を評価しています。
こんにゃくは体内の有害なものを早く外へ排出するだけでなく、血糖値やコレステロール値を下げる効果もあり、豊富な食物繊維がすみやかな便通を促進し、結果的に腸がんの発生やローカロリーの性質が、がんを防ぐなどの効果があると証明されています。
現代の食生活で、一日の食塩の摂取量が8g以下とされていますが、こんにゃくには減塩するのと同じ効果があると言われています。
俳人・芭蕉はこんにゃくが好きだったようでこんにゃくの句も多く「こんにゃくと柿とうれしき草の庵」と詠んでいます。
新しい元号「令和」が始まりましたが、5月29日は“こんにゃくの日”です。
5月はこんにゃくの種芋の植え付けが始まりますが、語呂合わせにしても“こんにゃく記念日”のようで、楽しさを感じます。
江戸後期に画期的なこんにゃく製法を発明した現在の茨城県の農民だった中島藤右衛門が“こんにゃくの神様”として祀られた大子町の蒟蒻神社では、毎月4月に“こんにゃくの祭り”が行われていましたが、今はこんにゃくの9割を生産する群馬県に変わってしまいました。
“下仁田こんにゃく夏祭り”や高崎市や生産者がにぎやかに“こんにゃくの祭り”を開催しています。また、関越物産でも9月〜10月に“こんにゃく祭り”を開催するのが恒例となっています。
“こんにゃくの日”が長く続く日本の食文化の伝統を守ってほしいですね。
厚手の和紙をこんにゃく糊で継ぎ合わせ、これを丹念に揉んで柔らかくし、柿渋を塗って仕上げた「紙子」という和紙の着物があります。その歴史は古く、平安の中期に播磨の書写山に草庵を結んだ性空(しょうくう)上人がこの「紙子」を着ていたという記録があるそうです。
現存する最古の「紙子」とされているのは、上杉謙信の陣羽織で山形県米沢市の上杉神社に所蔵されています。
江戸時代には庶民の防寒具としても「紙子」は普及したそうです。この時代に、和紙にこんにゃく糊を塗ってつくられた「紙鍋」もあり、水を入れても漏れず熱することができ、炭火にかけても紙にこげ色もつかない優れものだったそうです。
また、東大寺二月堂のお水取りの修行僧たちが伝統的にこの「紙子」を着るとのことです。
こんにゃくの多機能性を活かした先人の知恵に驚きます。
江戸時代の栄養学者、貝原益軒の「養生訓」や「和漢三才絵図」に、“こんにゃくは腹の砂を下ろす”などと書かれています。俗にいう「こんにゃくの砂払い」です。
この伝承を裏づけるような「九右衛門塚伝説」をご紹介しましょう。
豊臣秀吉が肥前名護屋に城を築いていた頃、谷丸久右衛門という石工の頭領がある日突然腹痛を起こしたため、妻が水ごりをして神様にお祈りをしていたところ夢で「夫の病は体内に多数の砂石があるからで、信心殊勝の至りにつきわが秘薬を与える」との神様のお告げがあり、「こんにゃく玉」が置いてあったそうです。妻は早速“こんにゃく”を造り、夫に与えたところ回復し、築城の大任を果たした久右衛門は恩賞にあずかりました。この話を聞いた諸国の大名が「こんにゃく芋」を領地へ持ち帰ったとありますから、「こんにゃくの砂払い」も一緒に広がったのではないでしょうか。
人口100万人の新興都市・江戸の料理文化が大盛況となるのは天明(1772~89)の頃で、天ぷら握り鮨、蒲焼き、鍋料理、どんぶり物など現在でも代表的な日本食はこの頃に生まれた料理です。料理本も一大ブームとなり、今でいう“レシピ本”が次々と刊行され、天明2年(1782)に出版された「豆腐百珍」が大ベストセラーとなっています。その後百種の珍しい料理という意味の百珍本が次々と刊行され、鯛百珍、玉子百珍、海鰻百珍等々が人気でした。
弘化3年(1846)、「蒟蒻百珍」が出版され、簡単に美味しい料理が作れると評判になり、「どじょうもどき」料理では「こんにゃくを細長く切り、ごま油で揚げ、ごぼうのささがきを加えて炒めてから、味噌汁に入れる」と現代のクックパッドのようです。こんにゃく料理でも百種を収めるこれらの百珍本は、上方からの「下りもの文化」を吸収しながら、江戸前の文化が芽生え、現代に継承されていることを思うと喜ばしい限りです。
「こんにゃく」には、“いじられ”る言葉が多いのですが、昔は高級食品でした。
中国の明の時代に出た薬学書「本草綱目」には、「できもの、のどのかわき、尿が出ない病気、呼吸器病等が、こんにゃくを多量に食べると治る」とあります。又、日本でも絵入りの百科事典「和漢三才絵図」には、「こんにゃくは腹中の土砂を下ろし、男子最も益ありと、そのよるを知らずといえどもさい病(呼吸器病)を治すさいあり」とあります。
江戸の本草学者、貝原益軒も「養生訓」で、「和漢三才絵図」の文章を引用し、こんにゃくの効用を説いています。
織田信長の時代の名医・曲直瀬道三の著にも同じことが書かれています。
鎌倉時代の高野山文書には、こんにゃくは仏様の供物にしたという記録もあり、室町時代には「糟鶏」といって高級食品として間食として食べられていたとあります。こんにゃくの面目躍如たる時代でした。