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TOP > 2019年度のコラム・こんにゃく問答

VOL 53 「こんにゃく料理」の裏ワザで至福の一品

花火

NHK総合テレビの「ガッテン!」で放映された、こんにゃくを美味しく食べる料理の裏ワザをご紹介しましょう。
まずは、板こんにゃくを使った裏技ではこんにゃくを5㎜程の厚さに切り、金属のバットの上に重ならないように並べラップをかけて冷凍庫で2時間ほど冷凍し、流水で解凍して使う裏技です。
「クラゲ風酢の物」では、白こんにゃくをクラゲに見立てゴマ油やポン酢、キュウリや白ごまで和えて作ります。
もう一つは、しらたきを砂糖と一緒に袋に入れ2~3分ほどよくもみ、さらに流水でよく洗って使う裏技です。
「めかぶしらたき」や「そうめん風しらたき」はすっきりした酢の物風にしたり、「棒棒鶏(バンバンジー)しらたき」や「青椒肉絲(チンジャオロース)しらたき」では、しゃきっとした歯ごたえは絶妙の中華に変身します。裏技で絶品の食材になるこんにゃくに脱帽です。

VOL 52 評価されるこんにゃくの“食物繊維”

花火

昔の諺に「精根尽きたら“こん”のつく食べ物を食べなさい」とあります。 だいコン、れんコン、コンぶ、ゴンボ(ごぼう)、そして“コンニャク”です。

「こんにゃく」には昔から“胃のほうき”や“腸の砂下ろし”などの言い伝えがあり、江戸の栄養学者、貝原益軒も「養生訓」で、こんにゃくの体内掃除を評価しています。
こんにゃくは体内の有害なものを早く外へ排出するだけでなく、血糖値やコレステロール値を下げる効果もあり、豊富な食物繊維がすみやかな便通を促進し、結果的に腸がんの発生やローカロリーの性質が、がんを防ぐなどの効果があると証明されています。

現代の食生活で、一日の食塩の摂取量が8g以下とされていますが、こんにゃくには減塩するのと同じ効果があると言われています。
俳人・芭蕉はこんにゃくが好きだったようでこんにゃくの句も多く「こんにゃくと柿とうれしき草の庵」と詠んでいます。

VOL 51 「こんにゃくの日とこんにゃく祭り」

花火

新しい元号「令和」が始まりましたが、5月29日は“こんにゃくの日”です。
5月はこんにゃくの種芋の植え付けが始まりますが、語呂合わせにしても“こんにゃく記念日”のようで、楽しさを感じます。

江戸後期に画期的なこんにゃく製法を発明した現在の茨城県の農民だった中島藤右衛門が“こんにゃくの神様”として祀られた大子町の蒟蒻神社では、毎月4月に“こんにゃくの祭り”が行われていましたが、今はこんにゃくの9割を生産する群馬県に変わってしまいました。 “下仁田こんにゃく夏祭り”や高崎市や生産者がにぎやかに“こんにゃくの祭り”を開催しています。また、関越物産でも9月〜10月に“こんにゃく祭り”を開催するのが恒例となっています。
“こんにゃくの日”が長く続く日本の食文化の伝統を守ってほしいですね。

VOL 50 「こんにゃく」を着る!

こんにゃくと着物

厚手の和紙をこんにゃく糊で継ぎ合わせ、これを丹念に揉んで柔らかくし、柿渋を塗って仕上げた「紙子」という和紙の着物があります。その歴史は古く、平安の中期に播磨の書写山に草庵を結んだ性空(しょうくう)上人がこの「紙子」を着ていたという記録があるそうです。
現存する最古の「紙子」とされているのは、上杉謙信の陣羽織で山形県米沢市の上杉神社に所蔵されています。
江戸時代には庶民の防寒具としても「紙子」は普及したそうです。この時代に、和紙にこんにゃく糊を塗ってつくられた「紙鍋」もあり、水を入れても漏れず熱することができ、炭火にかけても紙にこげ色もつかない優れものだったそうです。
また、東大寺二月堂のお水取りの修行僧たちが伝統的にこの「紙子」を着るとのことです。

こんにゃくの多機能性を活かした先人の知恵に驚きます。

VOL 49 「こんにゃくの砂下ろし」伝説

こんにゃくと世界

江戸時代の栄養学者、貝原益軒の「養生訓」や「和漢三才絵図」に、“こんにゃくは腹の砂を下ろす”などと書かれています。俗にいう「こんにゃくの砂払い」です。

この伝承を裏づけるような「九右衛門塚伝説」をご紹介しましょう。
豊臣秀吉が肥前名護屋に城を築いていた頃、谷丸久右衛門という石工の頭領がある日突然腹痛を起こしたため、妻が水ごりをして神様にお祈りをしていたところ夢で「夫の病は体内に多数の砂石があるからで、信心殊勝の至りにつきわが秘薬を与える」との神様のお告げがあり、「こんにゃく玉」が置いてあったそうです。妻は早速“こんにゃく”を造り、夫に与えたところ回復し、築城の大任を果たした久右衛門は恩賞にあずかりました。この話を聞いた諸国の大名が「こんにゃく芋」を領地へ持ち帰ったとありますから、「こんにゃくの砂払い」も一緒に広がったのではないでしょうか。

VOL 48 「百珍本」がもたらした食革命

こんにゃくと世界

人口100万人の新興都市・江戸の料理文化が大盛況となるのは天明(1772~89)の頃で、天ぷら握り鮨、蒲焼き、鍋料理、どんぶり物など現在でも代表的な日本食はこの頃に生まれた料理です。料理本も一大ブームとなり、今でいう“レシピ本”が次々と刊行され、天明2年(1782)に出版された「豆腐百珍」が大ベストセラーとなっています。その後百種の珍しい料理という意味の百珍本が次々と刊行され、鯛百珍、玉子百珍、海鰻百珍等々が人気でした。

弘化3年(1846)、「蒟蒻百珍」が出版され、簡単に美味しい料理が作れると評判になり、「どじょうもどき」料理では「こんにゃくを細長く切り、ごま油で揚げ、ごぼうのささがきを加えて炒めてから、味噌汁に入れる」と現代のクックパッドのようです。こんにゃく料理でも百種を収めるこれらの百珍本は、上方からの「下りもの文化」を吸収しながら、江戸前の文化が芽生え、現代に継承されていることを思うと喜ばしい限りです。

VOL 47 「こんにゃく」の面目躍如!

こんにゃくと世界

「こんにゃく」には、“いじられ”る言葉が多いのですが、昔は高級食品でした。

中国の明の時代に出た薬学書「本草綱目」には、「できもの、のどのかわき、尿が出ない病気、呼吸器病等が、こんにゃくを多量に食べると治る」とあります。又、日本でも絵入りの百科事典「和漢三才絵図」には、「こんにゃくは腹中の土砂を下ろし、男子最も益ありと、そのよるを知らずといえどもさい病(呼吸器病)を治すさいあり」とあります。
江戸の本草学者、貝原益軒も「養生訓」で、「和漢三才絵図」の文章を引用し、こんにゃくの効用を説いています。
織田信長の時代の名医・曲直瀬道三の著にも同じことが書かれています。
鎌倉時代の高野山文書には、こんにゃくは仏様の供物にしたという記録もあり、室町時代には「糟鶏」といって高級食品として間食として食べられていたとあります。こんにゃくの面目躍如たる時代でした。

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