鍋物は冬の風物詩として欠かせない料理ですがなかでも「おでん」を囲んでの宴は、長い歴史の食文化です。
「おでん」のルーツは、「田楽」ですが「田楽」に丁寧な「お」をつけてこう呼ばれるようになったそうです。平安時代から始まった田植えのときの豊作祈願の田遊びの踊りで、踊りをリードする田楽法師が白い袴を履いて一本棒に乗って飛び跳ねて踊った衣装姿が、豆腐を串に刺した形に似ていたことから「豆腐田楽」と名づけられたそうです。
豆腐やこんにゃく、里芋や大根、茄子などが串に刺し味噌をぬって「味噌田楽」として楽しまれ、江戸時代になると短気な江戸っ子が焼いているのがもどかしく、具材を味噌で煮込み「煮込み田楽」として食べていました。踊りの「田楽」は室町時代には衰退しましたが「味噌田楽」「おでん」は、現代につながっていますし、こんにゃくは無くてはならない“ハレノ日の食材”なのです。
こんにゃく博士・大槻虎男が世界初の抗生物質「ペニシリン」の開発に“こんにゃく”で貢献しています。
ペニシリンは1929年、イギリスの医師アレクサンダー・フレーミングが発見しノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
日本では、江戸時代に医者の足立休哲が青カビの菌を処方して治療に取り組んでいたとありますが、こんにゃく博士の大槻は昭和19年に陸軍の軍医学校が開発していたペニシリンの開発に、こんにゃくの青カビを活用して多大な貢献をしています。ペニシリンは当時肺炎にかかった英国首相チャーチルが快癒したことで開発が急速に進みました。
こんにゃくを用いて培養した青カビのペニシリンは国産のペニシリンです。大槻は“栄養価は高くても健康には良くない白砂糖”という母の言葉に逆説的に“栄養価は低いが健康には役に立つ”と強い信念を持って挑戦した大槻のこんにゃく研究の成果です。
※当時は英と戦争中で、日本は独自にペニシリンを開発する必要があった。名前も「ペニシリン」は敵性語とされ、「碧素」と命名された。
おだやかに晴れた日のことを「日和(ひより)」と呼び「小春日和」は、冬の初めの春のようなあたたかな日を愛おしく呼びます。
「宮崎日和」や「函館日和」と地名で呼ばれると旅に出たいイメージが沸いてきます。
「居酒屋日和」はどうでしょう。こんなネーミングで、“今日はおでんだな”となりこんにゃく、がんもと始まります。
そんな日は「こんにゃく日和」なのです。
必ずしも主役ではないこんにゃくですが「こんにゃく日和」と呼んでみるとなぜかこんにゃくを肴に染み染みと盃を傾けたくなるから不思議です。
江戸の百珍料理のなかで、鯛や海鰻(はも)、藷(いも)、玉子日和と呼ぶ情緒はなく精々、豆腐日和くらいでしょうか。そんななかで「こんにゃく日和」は、料理の広さと脇役の愛おしさや素朴さと一日の時間の深さを感じてしまいます。「こんにゃく日和」の音の響きを楽しんでしまいます。
こんにゃくの豊富な食物繊維が“第6の栄養素”として注目が集まっています。
人間の消化酵素では消化することができない食物繊維は胃腸内をゆっくり移動するのでお腹がすきにくく、食べ過ぎを防ぎ食後の血糖値の急激な上昇を抑える働きも担っていてダイエットフーズとしても大人気です。
先日、スウェーデンのカロリンス研究所とシンガポールのジェノーム研究所で食物繊維が脳の働きを活性化すると発表しました。
食物繊維を多く摂取すると自殺率が低下することを実証し、食物繊維が腸内細菌の働きを活性化させ、セロトニンやドーパミンといった脳の“幸せ物質”と呼ばれる神経細胞に働きかけ、幸福感を増幅させるのだそうです。
“腸は第二の脳”といわれるように、こんにゃくの豊富な食物繊維が脳を刺激していることもわかってきました。昔、「食べ物のカス」と呼ばれた食物繊維の面目躍如ですが、スーパーフードと呼ばれるのも納得です。
長い“外出自粛”の掛け声とともに生活スタイルに大きな変化が生まれています。
“新しい生活様式”では、家で食べる機会や料理をする時間も増え食材のまとめ買いも定着し、料理をする楽しみを見つけた人も増え「食」の意味を問い直す機会となっています。
突然の日常の変化に“料理の手習い”は、オンライン・クッキングでどうでしょうか。
レシピの代表的な教本「クックパッド」を開けば“こんにゃく料理”だけでも約41,780品もあり迷ってしまいますが「こんにゃく簡単おいしいレシピ」の魅力的な見出しに嬉しくなります。大手の食品会社や素材メーカー、産地のHPやTV、新聞とレシピ情報が無限です。長期保存可能でヘルシーな“こんにゃく”は困ったときの“一品料理”としても欠かせない食材です。
レストランが窮屈になり、持ち帰りや出前、通販や宅配ではちょっと味気ない食卓です。 家食で料理を楽しんではいかがでしょうか。
遠くインドやアジアから縄文時代に朝鮮経由で中国から伝来したといわれるこんにゃくですが、江戸時代にはこんにゃくのレシピ本「蒟蒻百珍」も出版され、人気の食材でした。
こんにゃくの生産では水戸藩が盛んに栽培を奨励し藩で専売制を敷いて財源に充てていました。その後、こんにゃく生産が全国に広がり明治期は茨城県が生産量で圧倒していましたが大正期には群馬県が伸び、昭和に入ると広島県が1位となり、群馬県、岡山県、福島県、茨城県の順で生産地として活況でした。
戦後、こんにゃくの生産量のトップに立ったのは群馬県で昭和26年には全国シェアの18%、昭和39年に30%を超え、50年には全国のほぼ半分を占め平成8年には80%を突破し現在では90%近くのシェアを誇っています。
投機性の高い食材として波乱万丈だったこんにゃくですが、生産の変遷史でもなかなかの存在感です。21世紀に入り第7の栄養素として注目のデビューです!
「蒟蒻というものは、古今の学者や業者の団体が、研究しつくしても未だに解明し得ない微妙な不可思議な力を持っているということである」―作家・水上勉がエッセイ「蒟蒻と学問」で書いています。
北陸・福井県に生まれ少年時代に禅寺で侍者を体験し「雁の寺」で直木賞を受賞し、伝奇小説「一休」を書き、精進料理の食材であるこんにゃくにも思い入れもあったのではないでしょうか、“こんにゃく愛”を感じます。そもそも、こんにゃくは中国から伝わったものとされていますが、今では中国より日本料理として定着しています。
水上勉が評価した“微妙な不可思議な力をもつこんにゃく”は21世紀の栄養学では第七の栄養素と言われ豊富な食物繊維が高く評価され、世界のスーパーフードとして不可思議な魅力発揮しています。水上勉の謎が植物栄養素の解明とともに実証されたことに、何故か嬉しくなります。
食品企業の「妻と夫の料理に関する意識調査」では専業主婦が毎日料理を作るは70%で、夕食づくりは平均45分程度で、妻の得意料理は“煮物、肉じゃが、カレー”の順でした。最近は煮物をする人は少ないと思っていたので意外でした。そこで、料理名を見るだけで食欲のわく「こんにゃく料理」の絶品おかずの紹介です。
“料理はクリエイティブ”ですからレシピを見なくても創造とオリジナリティな味付けで、“こんにゃく”を主役にしてみましょう!
春は花の季節ですので、江戸のレシピ本「蒟蒻百珍」より“花”の名の付くちょっと粋なこんにゃく料理をご紹介します。
今宵は、ちょっと我が家も粋な小料理屋に変身しそうなこんにゃく料理はいかがでしょう。
“能ある鷹は爪を隠す”という諺がありますが「こんにゃく」もそんな仲間の食材かもしれません。独特の食感はあっても“味は”と言われると答えに困る食材です。でも「こんにゃく」は、すき焼きやおでん、田楽には欠かせない一品で主役ではなくてもなくてはならない伝統食です。栄養学的にも「こんにゃく」のマンナン成分の働きが注目され、血糖値の上昇を抑え糖尿病や高血圧、動脈硬化の予防に期待されています。豊富な食物繊維やマンナンが腸活成分としての役割を担って高く評価されています。
「こんにゃく」は、土や天候、気温や湿度などの違いで、同じ地方でもとれる芋に含まれるマンナンの含有率も粘度も異なる難しい作物です。21世紀のスーパーフードとして脚光を浴びる「こんにゃく」ですが、素朴で無頓着なイメージが愛される理由に思えてなりません。
肥満で悩む先進国で「こんにゃく」がミラクル・ダイエット食品として定着しています。
アメリカ、イタリア、フランスと世界のセレブやパリジェンヌに人気の食材として普及しているのです。健康志向が高まる中、こんにゃくがコレステロールの増加を抑え、糖尿病を防ぎ、便秘を改善することがわかってきたからです。
赤、緑、黄色のこんにゃく麺の誕生にイタリアでは「ZEN Pasta」として、トマト味、ガーリック味など様々なソースの味付けで人気パスタとなっています。アメリカではこんにゃくのグルテンフリーという言葉に反応して「日本人の女性のスリムな体、肌の美しさの秘密は“こんにゃく”だ」とまで言われているそうです。
世界の日本食ブームを追い風に、こんにゃくが健康食材の理想的なスーパーフードとして広がりを見せています。
ドラマ「赤いダイヤ」が分かる方は団塊世代以上の方でしょうか。昭和37年(1962)に出版され翌年TVドラマ化で大沸騰した梶山季之の小説です。物語は商品先物取引の“あずき”市場を舞台に政財界・マスコミを巻き込んで壮絶な仕手戦に発展するドラマで、現代の池井戸版の男の夢を実現する痛快な物語です。
実は「こんにゃく」にも古くは、あずき同様の先物取引商品として利権がありました。
当時はこんにゃくの産地が偏在し、こんにゃく芋の病気や天候に左右され作柄の不安定で相場変動が激しい特徴があったのです。そのためこんにゃくの価格が上下し“半農半商”の性格を持つ商品となっていました。こうした投機商品としてのこんにゃくが、ときには「札束」に見えるほどだったとあります。大正から昭和中頃にかけて狂乱の相場があったというので驚きます。赤いダイヤが赤豆なら、こんにゃくは黒いダイヤかと思えば食品ではトリュフと黒マグロだそうです。